本日、SkrillexがCDJを踏みつける行為がネット上で話題になっているニュースを記事で取り上げましたが、こちらもSkrillex関連の記事になります。
【記事更新】
Skrillexが上海のショーの最中に行ったCDJを踏みつける行為にネット騒然!?この行為に対して色んな意見が挙がっており、Pioneer DJもコメントしています!https://t.co/dTOf6fzAOJ
— MNN (@Music_News_Net_) 20 Nollaig 2019
2019年12月17日、Skrillexがイギリスのメディア「DAZED」のインタビューに応じ、アンダーグラウンドだったダブステップにハマりグラミー賞を受賞するプロデューサーへと成長した2010年代について語っていたので、その内容を簡単にまとめてみました。
まず、代表作”Scary Monsters and Nice Sprites”を生み出した年でもある2010年、From First To Lastの一員として活躍していたハードコア/スクリーモシーンからエレクトロニックミュージックへと転身したばかりだったSkrillexに当時の生活についての質問からスタート。
2010年にLAのダウンタウンで、1平方フィート当たり50セントの安い倉庫のスペースで生活していたSkrillexは、この場所で多くのアーティストやミュージシャン仲間ができ、エレクトロニックミュージックを作ったり、スケートボードをしたり、アイスコーヒーを飲んだりという生活を送っていましたが、ある日ネットでベースミュージックの波がキテいることを知ります。
2007年からフレンチミュージックやM.I.A.やPeachesといったオルタナティヴに夢中だったものの、2010年にダブステップの深みにハマり、当時LAでは12th PlanetやDoctor P, Flux Pavilionといったアーティストが台頭していたことから、彼らの音楽を聴いたり、時にはExcisionやBoregoreといったアーティストのパーティーにも参加していました。
初めてダブステップのショーを見た後に向かったレコード店 Amoeba Recordsのダブステップコーナーで、Burialのアルバム『Untrue』を見つけ、ダブステップという音楽がどういったものなのかを理解して、その類いの音楽を作るようになり、自分が作った曲が後にFlux Pavilionや12th Planet, Bare Noize, Noisiaといったアーティストたちにかけてもらえるようになったのです。
続いて、最初にリリースした曲のレスポンスについて尋ねられると、まずdeadmau5にリリース前のEP『Scary Monsters and Nice Sprites』の一部を聞かせたところ、とても好反応を示してくれたとのこと。
Skrillexとしては実験的に新たなサウンドに挑戦していたのですが、周りは「このクレイジーでコマーシャルな音楽はなんだ?」という反応ばかりで、「え?これのどこがコマーシャルなんだ?」とショックを受けたのを覚えているそうです。
当時、アメリカではまだまだダブステップは下火で、インターネットも今ほど活発ではなかったものの、常に自分らしくあり続けることを意識していたSkrillex。12歳の頃からショーに出演したり、チケットを売ったりしており、12歳になる前もバンド活動したりと自分がしたいように行動してきて、16歳から続けてきた音楽のプロデュースが今ではメインとなり、それがたまたま人々から注目されただけだと語っています。
次に、2012年に3つのグラミー賞を獲得した際、スピーチでUKのダブステップ発祥の地であるクロイドンの名前を出したことについて言及されると、グラミー賞を獲得する前、Skrillexは約3ヶ月間UKに住んだことがあり、Pendulumのヴォーカル Rob Swireと一緒に多くの時間をスタジオで過ごしたことなど思い出話も語ってくれました。
クロイドンはSkrillexが初めてのショーで訪れた場所でもあり、そのときにダブステップシーンのパイオニア Skreamと出会い、彼を通じてCaspaやPlastician, Hatchaといったアーティストにも会わせてもらい、彼らと共にレコードを聴いたり、サウス・ロンドンの全てのイベントをチェックしたりしてアンダーグラウンドシーンを学びました。その後、彼らはクロイドンでパーティーをスタートするのですが、そういった記憶もあってグラミー賞のスピーチのときにクロイドンというワードが自然と出たそうです。
またこのスピーチの中でNever Say Dieについても語っていましたが、UKに住んでいた時期にレーベルボスのSKisMとも初めて会い、ヒップホップ/ダブステップグループ Foreign Beggarsなどのスーパースターにも繋げてくれたそうです。
当時、Googleで最も検索されたワードのひとつにもなった「dubstep」。
単なる流行りで、ダブステップのブームが去ったら、自分のキャリアは単なる一発屋で終わるかもしれない、と思ったこともあったそうですが、Never Say DieやExcisionは自分なりのダブステップを表現し、Lost Landsには毎年多数の観客が集まり、どんどん新しいアーティストがドープなダブステップを作ったりと、今ではダブステップならびにベースミュージックは一時のブームとは決して言えないと断言。
BillboardにDance/Electroniチャートが導入され、SFX社がBeatportを買収したりと、2013年はEDMのバブル時代とも言え、エレクトロニックミュージックシーンに大きなお金が流れ込むようになり、アーティストたちは一気に多額のお金を得ましたが、そんな時代でSkrillexはどのようにしてバランスを保っていたのかという質問もありました。
2011年からその兆候は見られ、財務関連等みんなどうしていいか分からずあたふたしていましたが、Skrillexは逆にその旋風の中心からは敢えて離れて、Boys Noizeとのプロジェクト「Dog Blood」を作ってメインストリームのEDMとは関係ない音楽をやポップソングのプロデュースを行ったり、アメリカのメタルバンド Kornと曲を作ったりして巻き込まれないようにしていました。
また幸せは自分のそばいてくれている人々や毎日のプロダクティビティやモラルから得られるものだと気付かされ、自分のマインドと創造性を最も大事にしていたため、そういった変化に驚くことはなかったそうです。
Skrillexのキャリアのターニングポイントにもなった、2015年にDiploとの「Jack Ü」としてリリースしたJustin Bieberとのコラボ曲”Where Are Ü Now”は、どのようになアイデアで生まれた曲なのかという質問についても回答。
この曲の制作していたときはハウスっぽいドロップなど、色んなバージョンのドロップをとにかく沢山作ったそうで、ようやく出来上がったのが爆発力があり、尚且つ程よく抑制も効いた現在の”Where Are Ü Now”のドロップで、Justin Bieberのヴォーカルのスイートさとメランコリックな感じを引き立たせるよう心掛けたそうです。
曲が完成したらBrodinskiなど、とにかく色んなプロデューサーに聴かせて皆からとても良いフィードバックを貰ったのですが、どのレーベルもラジオステーションも「え、Justin Bieber?」みたいな反応をされたのだとか。当時、彼の印象は確かに良くはなかったものの、Skrillexは全く気にしておらず、A&Rの人たちにレコードを聴かせていたときも「でもJustin Bieberはここ何年もヒット作を出していないよね。」という風に言われたりしたので、「いいからとにかく聴いてくれ!」と思ったりと当時の苦労したエピソードも聞かせてくれました。
また過去10年間で最も印象に残っている特別な出来事を尋ねられると、幾つかあるものの昔からディズニーと何か共演したいという夢を持っていたSkrillexにとって、ディズニーのために曲を作ったり、ディズニーのアニメ映画『シュガー・ラッシュ』にアニメキャラクターとして出演したことを挙げました。
Skrillexが再びディズニーとコラボ!!
以前ディズニーのアニメ映画『シュガー・ラッシュ』に出演し、楽曲”Bug Hunt”を提供したSkrillexですが、昨日ディズニーがSNSで再びSkrillexと共演することを明らかにしました!
どういった形なのか詳細は不明ですが楽しみです! pic.twitter.com/7QMXLkvWaB
— MNN (@Music_News_Net_) 25 Feabhra 2018
さらに16歳のときからいつか宇多田ヒカルと一緒に仕事をしたいと思っていたこともあって、宇多田ヒカルと一緒に『キングダム ハーツIII』のオープニングテーマ”Face My Fears”を制作したことも特別な思い出となったようです。
そして2020年代に期待していることについて聞かれると、真っ先にアメリカ出身のシンガー/ラッパー、Dominic Fikeの活躍を挙げています。
今年BrockhamptonのアルバムリリースパーティーにDominic Fikeが出演した際、Skrillexがサプライズゲストとして出演したことが話題になりましたが、SkrillexとDominic Fikeは何度か一緒に過ごしたことがあり、彼は歌も歌えてラップもできて楽器も弾けて、ものの2分で曲を書き上げたりと恐ろしい才能を目の当たりにしたのだとか。
まるでマシンガンのようにラップもするのに、フォーキーなサウンド出身という異端児で、間違いなく彼が作る音楽が今後もたらす影響は大きいだろうと大絶賛しました。
最後にこの約10年で一貫して変えていないことについて尋ねられると、10代の頃からずっと長髪にしていることと、落ち着くという理由で全身黒のコーデにしていることだと説明し、唯一変わったことといえば、サイドを刈り上げたことと、度入りのメガネを付けるようになったことだと明かしましたが、ただ今現在はコンタクトレンズにしたそうです。
その他にも、過去10年間で最も驚いた事として、MinecraftやFortnite, Twitchといったインターネットリアリティのコミュニティが急速に発展したことに触れたり、この2010年代にリリースされた最もお気に入りのアルバムとしてTravis Scottの『Astroworld』とJustin Bieberの『Purpose』の2つをピックアップ。
2010年代の1番のトレンドについては、Aviciiがカントリーミュージックとエレクトロニックミュージックを融合させたり、ラッパーがスクリーモのアーティストを真似たり、エレクトロニックミュージックとラップを掛け合わせた曲が多数リリースされたことを引き合いに出して、カルチャーのクロスオーバーを挙げました。
今回、インタビューを簡単に掻い摘んだ形となりましたが、ボリュームのあるインタビューなので、もっと詳しく読みたい方は原文の方も是非チェックしてみて下さい。
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